青森県十和田市 防風林 2016.4.24 |
24日は午前中は町内の清掃・・場所は防風林
三本木原は十和田火山の灰のため昔から樹木があまり生えず、冬季には強風が吹き荒れ、行き倒れする旅人もいた。文政年間(1818~1830)、盛岡藩では奥州街道沿いを中心に防風林の植え立てを行った。
十和田近辺では法量、深持、三本木、洞内、馬洗場、大沢田、八斗沢、立崎、新館、大浦、上野、二ツ森、作田、野崎、花松、中岫、天間館、榎林、甲地の十九か村に夫役勤務の制を定め、防風林から三里(12㎞)以上遠くに住む者は一人につき、高さ6尺(1.8m)幅六尺の土手を2間(3.6m)ずつ、三里以内に住む者は3間(5.4m)ずつ築き、土手の上一坪(3.3㎡)ごとに十二本の雑木を植えさせた。
天保9(1838)年、新渡戸傳は田名部、野辺地、七戸山奉行(山林方兼役)として防風林の植え立てに尽力し、翌年、大槌、宮古、野田、五戸の御山奉行兼帯山林方も仰付けられた。そしてこの頃、三本木地域に防風林がいくつか完成し、旅人や農作物を守り、三本木原開拓への道を開いた。
安政2(1855)年から着手された三本木原開拓事業の中で、防風林植え立ては以前にもまして力を入れ行われた。傳、十次郎は、新町・稲生町を風から守るため大型の防風林を東西数ヶ所に設置している。
明治17(1884)年軍馬補充部が三本木に入っても昔からの防風林を受け継ぎ、防風林造成事業を行った。市内の各所に見られる巨樹は、そのときに植えられたものである。