青森県十和田市滝沢 鎮守の祭り vol.01 |
中渡八幡宮
1191年(建久2年)、南部光行は奥州藤原勢討伐に出陣し、軍功で新領地の糠部五郡を拝領した。光行の先祖が信仰した甲斐巨磨郡南部郷の八幡大菩薩を滝沢村中渡に奉迎鎮座させた。その後、神託により、櫛引村に奉遷した。その後、中渡の神官である滝沢家が櫛引八幡宮の鍵を管理した。櫛引の宝物は中渡八幡宮から移されたものと伝えられている。中渡八幡宮は、かつて軍神として信仰され、日清戦争、第二次世界大戦にいたるまで、信徒は武運長久と軍馬のご加護を祈願した。
中渡集落は、昔、中道と呼ばれ、現在地ではなく、倉石の後藤川の川辺にあった。五戸、三戸から十和田湖休屋の十和田神社参拝の主要街道沿いで、途中、中道で後藤川を渡らなければならなかった。「中道の渡り」と呼ばれていたのが、やがて中渡となった。中道はたびたび水害に見舞われたので、川辺から少し高台の現在地に移ったとも言われている。






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