蝦夷(えみし)たちの悲劇 |
当時は、朝廷の勢力内に住む、成人男子の3〜4人に1人は徴兵され、1、防人(さきもり)、2、宮殿の衛兵、3、地元で兵役 のいずれかを3年間勤め上げなければなりませんでした。地元での兵役は、東北の成人男子にとっては蝦夷たちと戦うことです。勇猛果敢な蝦夷たちと戦うより、遠くても安全な九州等に行くものも多かったようです。家族をおいて、遠地で暮らす防人の心情を詠んだ歌が万葉集にも残されています。それでも防人たちは3年後には故郷に帰ることができました。
しかし強制移住させられた宮城県北部、岩手県の蝦夷たちは故郷に帰ることを許されませんでした。遠い異国の地で、彼らは古里の山河を思い出していたのではないでしょうか。
このような時代に、阿光坊の蝦夷たちは、いったいどのような暮らしをしていたのでしょうか。朝廷や岩手の蝦夷たちと何らかの接触もあったのでしょうか? 想像が膨らんできます。