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2016年 08月 05日
旧三本木駅周辺にはかつて鉱床があり、鉄鉱石がトロッコで運び出されていたという。藩政時代の遺跡を案内していただいた郷土史家の自宅を訪れるとその鉱石が庭の片隅に・・そして鉱石の隣には、軍馬補充部の敷地を示す石柱が置かれていた。
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by sanvongi
| 2016-08-05 09:49
| 神社・仏閣・遺跡
2016年 08月 05日
南部藩政時代に築かれた村境の土手・・手前が三本木村、向こう側が洞内村。
この土手は1665年(寛文5)に作成された寛文三本木村絵図に登場する村の西北の境である。土手の長さは286m・・現在も原型をとどめている。ここから少し離れたポイントに同じく藩政時代に三本木で初めて田植えした初田と呼ばれる水田がある。 ![]() ![]() #
by sanvongi
| 2016-08-05 09:44
| 神社・仏閣・遺跡
2016年 08月 05日
藩政時代に三本木で初めて田植えした初田と呼ばれる水田。残念ながら現在は休耕田となっている。ここから洞内方面へと水田が広がっていった。
水田を拓くには水が必須であるが、この周辺にも小川と湧き水がある。新渡戸伝の開拓以前にも三本木村にはこのような小規模な水田がいくつもあった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() #
by sanvongi
| 2016-08-05 08:43
| 神社・仏閣・遺跡
2016年 08月 05日
![]() 親子が遊ぶ平和な光景・・公園の名は大門。結婚式場グランドホールの隣にある公園である。ここはかつて三本木開拓に従事した罪人たちを収容していた小屋の跡である。 稲生川の上水工事が成功した後、藩は開発人夫として罪人を三本木に送り込んだ。罪人を収容する小屋は塀で囲まれ、一角に設けられた大きな門が唯一の出入り口となっていた。それにちなんで、この門が立てられたあたりは大門と呼ばれていた。 郷土史家の山崎栄作氏は、この罪人たちは農民一揆に立ち上がった人々ではなかったか、と述べている。三本木開拓に限らず、国家的な事業で罪人を使役するのはめずらしいことではない。罪人⇨正確に言えば罪人とさせられた人々。 鉄道に関して言えば、シベリア鉄道、ビルマの泰緬(たいめん)鉄道など・・酷使により大勢が亡くなっている。 身近な例では下北半島の幻の大間鉄道の工事の際にも朝鮮人たちが酷使されて逃亡をはかり、村人がかくまったとの言い伝えがある。 #
by sanvongi
| 2016-08-05 08:32
| 神社・仏閣・遺跡
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