2016年 01月 20日
青森県八戸市 櫛引八幡宮 |
南部藩の始祖とされる南部光行が甲斐の国の八幡宮を糠部の滝沢村に勧請し、その後に櫛引村に移したという。
滝沢家文書によると、甲斐の八幡宮を滝沢村に勧請した対馬影光(景満)には滝沢姓の家臣がいた。その滝沢某か、子の滝沢三郎義昌(よしまさ)が、八幡宮を櫛引村に移したあとに中渡八幡宮の小社を建てたという。
ちなみに、対馬の分家に目時家がある。十和田市の沢田舘跡に代々住まわれているのも目時家・・つながりがあるのだろうか。
滝沢家文書によると、甲斐の八幡宮を滝沢村に勧請した対馬影光(景満)には滝沢姓の家臣がいた。その滝沢某か、子の滝沢三郎義昌(よしまさ)が、八幡宮を櫛引村に移したあとに中渡八幡宮の小社を建てたという。
ちなみに、対馬の分家に目時家がある。十和田市の沢田舘跡に代々住まわれているのも目時家・・つながりがあるのだろうか。
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by sanvongi
| 2016-01-20 11:00