青森県十和田市赤沼 鎮守の祭り vol.01 |
明応年間(1492〜1501)に南部藩の家臣であった沼山備中が、上役である奥瀬安芸と仕事のことで争い、藩主から追われる身となった。これを恨んだ備中は赤沼に館を築き、赤沼備中を名乗り、領主となって謀反を起こした。彼は部落の農民から敬われ、支配者として部落の発展にも尽力したので「部落の守り神」とされた。しかし、その後奥瀬安芸を斬ってしまい、自らも下斗米九郎左衛門に殺害されてしまい、赤沼一族も滅んでしまった。部落の人々は赤沼の一族をこの神社に祀ったと伝えられている。
ここから車で5分くらいのところに備中館跡があります。館がどんな場所に築かれたのかよくわかります。
鎮守の神様のご利益あるかもしれません・・クリックお願いします(笑)。